何故、給食がパンなのかご存知でしょうか?
戦後に日本に食料がなかったから?
そうです。しかしなぜそれがいつまでも続いていたのかについてはあまり知られていません。
基本的にアジアは米食です。
しかし日本はなぜか粉食になってしまいました。
この原因には日本人を弱体化させたいアメリカの意図があったと言われています。
戦後の流れ
1945年(昭和20年)日本は敗戦しました。
その当時日本に食料は無く、栄養失調の児童は大勢特に都心部には大勢いました。
それをフーバー元大統領は来日した時に驚き、日本の学校給食の再開が進み始めました。
昭和21年に都心部の一部で学校給食の再開。
昭和22年には全国都市部にまで拡大されました。
この頃は、旧日本軍の物資5000トンに横浜の倉庫にあったララ物資を加え、副食と脱脂粉乳を中心とした「補完給食」が使われていました。
昭和25年主食のパンを加えて「完全給食」という形になっていきました。
ここで当時食べ物がない日本はGHQから無償提供された小麦を使いました。
こうしてみるとありがたいという見方もできますが、実はアメリカはこの頃小麦が国内にあまり出して、保管に困るような状況でした。
そもそも戦争のために大量に作っていたからだったのです。
結果は日本にとってもアメリカにとってもありがたい亊だったのです。
そして日本はこの給食制度を全国にまで広めようとしました。その当時、日本はGHQの占領末期でアメリカの了承を必要としていました。
それに対してアメリカは「今後ともパン食を推進することを確約しろ」と言ってきました。
小麦はGHQからの無償提供されているものを前提としていたので、文部省は悩むなく了承しました。
しかし翌年になんと小麦贈与は打ち切られてしまったのです。
サンフランシスコ講和条約の調印で日本の独立は回復したためと言われています。
しかしGHQとの約束があるために日本は全額国庫負担で小麦とミルクを購入するはめになりました。
アメリカがダブつかせた小麦を売るためにしたたかだったのに対して、日本はあまりにも「お人よし」だったと言えます。
しかし日本は昭和28年夏以降、大水害と冷害で作物不足に陥ります。食料がまた日本に減って栄養失調の児童がまた増えだしました。
そのせいもあり学校給食法制度化が進みました。
そのころアメリカでは朝鮮戦争が休戦になったためにまた小麦が大量に余る事態になっていました。
アメリカとしてはすでにはらは決まっていました。
日本に米を売りつける…
昭和30年5月に「余剰農産物協定」が日米で正式調印され、日本は1億ドルのアメリカ農産物を受け入れることになりました。

昭和30年の街並みフォト蔵より引用
日本はアメリカ農産物の市場拡大の最大の標的であり、学校のパン給食は長期戦略の主戦場とされたのでした。
しかもアメリカが贈与する小麦と脱脂粉乳は限定的に学校給食用とすると決められていたのです。
これはつまり米食を日本人の若者にはさせずに粉食を植え付けることにより、今後永続的に日本人が米よりもパンを好むような文化を作ることが当時のアメリカの計画だったのです。
(この戦略はマクドナルドのハッピーセットにも使われています。子供にマクドナルドをたべさせれば、その子供が親になった時に自分のこどもを連れて来る。三世代マクドナルドをたべさせれるという考えです。)
で実際にそれが今こうして続いているというわけです。
当時のアメリカにもしかしたらそんな考えはなかったかもしれないという考えもありますが、
マッカーサーは曰く「我が輩は米と魚と野菜の貧しい日本食をパンと肉とミルクの豊かな食卓に変えるためにやってきた」と言っていますし
GHQサムスン准将は「太平洋戦争はパン食民族と米食民族の対決であったが、結論は、パン食民族が優秀だったということだった」と言っています。
こうして米食民族の日本人は米を手放し、小麦の粉食になっていったのです。
当時は確かにアメリカの小麦が必要な期間はありました。
しかしそれを拘束したのは事実アメリカででした。
そして現代
彼らが当時勧めた小麦、肉、ミルクは皮肉な事に、
小麦はポストハーベストのせいで大量の農薬が残っていて、パンは添加物の温床となっていますし
(詳しくは【レモン戦争】恐ろしい米国輸入。やっぱりパンより米。
【アメリカ小麦戦略!?】パンとお米はこんなに違う!パンって危ないっ!?をご覧ください。)
肉は成人病の代表的な原因になり、医療費は増え続けています。
(詳しくはじつは日本は1200年間もの間肉食禁止だった!?をご覧ください。)
牛を止めれば大気汚染などすぐに解説することはわかっていますし
ミルクは人間には必要ないとわかっています。
もう粉食を卒業してもいいのではないでしょうか?
日本食はユネスコ世界無形遺産にまで選ばれるほど価値のあるものです。
(詳しくはこちら和食が世界無形文化遺産になったまとめ。をご覧ください。)

昭和2年の学校給食
しかし、アメリカが日本に戦後したこはこれだけではありませんでした。
コメント