今では当たり前に食べられている「肉」ですが、かつて日本では肉が禁止されていました。
なぜ当時世の中を統治していた人達は国民の食に介入してきたのでしょうか?
目次
肉食禁止令の詔とは
天武4年(675年)4月17日に最初の肉食禁止令の詔が発布されてから、明治4年(1871年)12月17日に禁が解かれるまで、実に1200年もの間、日本では肉食を忌避する文化が実はありました。
なぜ何度も出されていたかというと、西洋が文化伝来のためにやってくる度に、日本に肉食の文化を植え付けようとしたからです。
日本では肉は生き物の死骸であり、不浄なものという価値観があったからと言われています。
その原文はこちらです。
庚寅に、諸國に詔して曰はく、「今より以後、諸の漁獵者(すなどりかりするひと)を制(いさ)めて、檻(をり)穽(ししあな)を造り、機槍(ふみはなち)の等(ごと)き類を施(お)くこと莫(まな)。亦四月の朔(つひたちのひ)より以後、九月三十日より以前(さき)に、比彌沙伎理(ひみさきり)・梁(やな)を置くこと莫。且(また)牛・馬・犬・猨(さる)・鷄の宍(しし)を食ふこと莫。以外(そのほか)は禁(いさめ)の例(かぎり)に在らず。若し犯すこと有らば罪(つみ)せむ」とのたまふ。
『日本書紀』巻第二十九
天武天皇とは
天武天皇は壬申の乱で天智天皇の太子・大友皇子を倒し日本という国の原形を作り上げたと言っても過言ではないほど、日本に大きな影響を与えた人物です。
功績ははたくさんあります。
その中でも有名なのが、古事記と日本書紀の編纂です。完成したのは天武天皇の死後ですが、命じたのは天武天皇でした。
古事記の編纂によって初めて天皇が天照大神の子孫として公式に認識されることになあっと言われています。
さらに神道を形成しました。日本は古来より八百万の神を信仰する国です、その各地の神を祀る祭儀を公式の儀礼の中に取り込みました。
明治4年に肉食解禁
明治4年に明治天皇みずからが牛肉を食べて肉食を解禁したとされています。
天皇は日本政府の方針に従わざるを得なかったと考えられます。
天皇の肉食についての報道が新聞に載ったのは、翌年のことでした。新聞には『我ガ朝ニテハ中古以来、肉食ヲ禁セラレシニ、恐レ多クモ天皇、イワレ無キ儀ニ思シ召シ、自今肉ヲ遊バサルル旨、宮内ニテ御定メコレ有リタリト云。』と書かれていました。
秀吉、家康も肉食禁止に協力していた
1549年にフランシスコ・ザビエルが鹿児島に渡来して、キリスト教を伝えました。
その時も肉食の文化が入ってきました。一時は大名たちも食べていたのですが、秀吉、家康はキリシタン禁止令を出しました。その理由は牛肉食の慣行だったのです。
なぜ禁止されていたのか?
神道では死体は穢れであり不浄なものだから、それを食べるというのは穢れを体内に入れることになるために禁止したと言われています。
肉食神話
[box class=”blue_box” title=”]肉を食べればスタミナがつく
タンパク質は身体に必要だから肉がいる
身体を作るには肉を食べること
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などの神話が言われていますがこれらはほとんど宣伝であり、食肉業界は年間数百万ドルを使ってこういったイメージを作っているだけに過ぎないと言われています。
肉を食べればスタミナがつく?
たとえば肉を食べればスタミナがつくというイメージですが、肉を食べたところで、私たちの体の中で効率よくたんぱく質になるわけではありません。
それらの動物性たんぱく質をアミノ酸にまで分解してにくを、それをヒトのたんぱく質に合成しなければならないのです。この為に体はエネルギーを使わないといけません。
肉を加熱調理すると、たんぱく質が変性してアミノ酸が壊れてしまうことが分かっています。
その結果、いくらステーキを食べても肝心のアミノ酸は摂取できないことになります。
タンパク質は身体に必要だから肉がいる?
人間の身体に必要なたんぱく質は何も肉からでないと取れないわけではありません。
お米の中にもタンパク質は入っていますし、大豆やバナナにも良質なたんぱく質は含まれています。さらに野菜などにはタンパク質のもととなるアミノ酸が入っているので、肉をわざわざ食べなくてもタンパク質不足にはなりません。
身体を作るには肉を食べること?
肉を食べたら身体が大きくなるというのは嘘です。自然界を見ればわかることですが、ゾウは草食動物ですが、肉食動物の何倍も大きいですね。肉を食べたら筋肉がつくというのも嘘です。肉食動物のライオンより、草食動物の馬の方が筋肉は発達しています。
因みにチーターと像では短距離だったらチーターのほうが早いのですが、長距離で競った場合は像のほうが先に遠くまでいってしまうのです。
本当に肉は必要なのでしょうか?
私たち日本人にはお米があるのではないでしょうか?

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