1986年の公開依頼ずっとジブリファンに愛され続けている作品天空の城ラピュタ。
この作品がSFであるがゆえにロマンがあり、今なお人気があります。
このページではシータの両親や家族そしてパズーに出会うまでの暮らしや生活についてお伝えしていきます。
目次
シータの家族について
シータ母(・_・).。oO(バルス)#しぬほど言いたい pic.twitter.com/xNvUpDWjr2
— みなみ4 (@oP5LGEBAKwagCzR) January 25, 2019
シータの家族にお伝えする前にまずどこまでを家族と言えるのかが要になります。
そのためには名前をおさらいする必要があります。
シータの家族の名字は?
シータの本名(フルネーム)は
リュシータ・トエル・ウル・ラピュタ
それには意味があり「 トエル」は真、
「ウル」は王という意味です。
ラピュタは王家の名前にあたります。
なので一応名字はラピュタになります。
しかしムスカにもラピュタという名前がついています。
ではムスカと同じ名字なのかと言うと少しちがいます。
ムスカの本名は
ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ
ラピュタ王家ではあるものの「トエル」がありません。
そのかわり、「パロ」がついています
ギリシャ語で「従属」の意味を示しています。
つまりムスカは従属なので家族とは考えないで考察していきます。
シータに親や家族はいなくて天涯孤独だった?
「天空の城ラピュタ」より"シータが作るビーフシチュー" #美味しそうだと思ったらRT pic.twitter.com/xcMlRBbf89
— ジブリの食べ物bot (@ghiblifoodsbot) August 28, 2019
父親は不明ですが
シータの母親は病気で亡くなったと言われています。
祖父母も早くになくして頼るすべもなかったようです。
なのでシータは天涯孤独として一定期間1人で暮らしていたということです。
なので料理ととかも13歳にしては上手だったのでしょう。
シータの母親は映画天空の城ラピュタに登場していた!?
ラピュタに出てくる飛行機械で唯一現実的なのはパズーの父親が乗ってた飛行船。
彼がラピュタを発見した時に乗っていた飛行船は「ヨーロッパの飛行機の父」として知られるアルベルト・サントス=デュモンの飛行船に近い。
因みに嵐の中を突っ切る能力はなく、デュモン自身が趣味で乗り回していた模様 pic.twitter.com/i0UQWncsHS— HAL@古き悪しき時代大好き侍 (@HAL9152) December 12, 2018
シータの母親は実は映画天空の城ラピュタので登場しているといわれています。
それが最初のシータが空から降ってきてパズーの家で寝ているシーンです。
シータが起きてきてあたりを見回したシーンで壁にラピュタの写真が飾ってあるシーンがあります。
そのシーンの下に1人の女性の顔写真があります。
それがシータの母親だそうです。
シータはラピュタの王家の末裔。
母親は后だった可能性も十分にあります。
パスーの父がラピュタを撮影したのがパズーがシータと出会うう前のこと。
時代にして20年くらい前だというのが妥当でしょう。(父親の年齢などを踏まえると)
そのころはラピュタには人が居た可能性があるわけです。
そうだとすれば、母親は何らかの理由があって后として写真に残っていたと考えても不思議ではありません。
パズーに出会うまではどんな暮らしをしていた?
シータはムスカに連れ去られる前まではゴンドラの谷でひっそりと暮らしていました。
そこで両親が残してくれた家畜や畑で生計を建てていたと考察します。
そこにムスカたちがやってきてシータをラピュタを
探すために連れ去ったというわけです。
まとめ
・シータは早くに家族をなくしている。
・シータの母親の死因は病気だがあとの家族の死因は不明。
・シータは家族が残してくれた畑や家畜で生計を建てていた。
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