先日テレビ朝日の看板キャスターの一人市川寛子アナウンサーが人事異動で広報部に移動したと発表されました。
これに対して世間ではかなり悲しみの声が上がっています。
看板キャスターとしてだけでなく、正統派のイメージが強かっただけに多くのあらゆる世代の人に親しまれていたことがわかります。
一部始終と世間の反応を交えてお伝えしていきます。
市川寛子アナについて
市川アナは1972年12月7日生まれでアナウンサーでもあり気象予報士でもあります。
愛知県の名古屋市で生まれて、京都府京都市で育ちました。
最終学歴は青山学院大学経済学部。大学2年の時にミス青山学院に選ばれています。
また在学時にすでにドラマ出演やモデルを経験されているそうです。
もう着々とアナウンサーになるため勉強だけでなく、露出についてもしっかり実績をつくっていることがわかります。
青山学院大学に入学したのもアナウンサーになるためなら青山学院は一番だという考えのもとかもしれませんね。
だとしたら相当人生の大部分をこの仕事にかけてきていることになりますよね!
そして2003年に兼ねて、テレビ朝日にアナウンサーとして採用されています。
2009年の4月から2011年の3月まで「報道ステーション」のサブキャスターを担当しています。
これによって揺るぎない、ちやほやされないアナウンサーとしてもイメージが世間に定着したと思います。
私もこの頃をリアルタイムで見ていましたが、本当に科(しな)をつくった感じがしないというか、媚を売っている感じがしないところが好きでした。
またさわやかな印象もありましたね~^^
2012年に結婚して2015年に1児を出産、2017年に2児を出産しています。
そして2019年に2月に復帰してきました。
そして今回2019年7月1日づけでアナウンサー職から広報局広報部へと移動されました。
自ら移動した理由と真相
移動した真相として旦那さんがロンドンの大学でMNAを取得してテレビ朝日を退社しているそうです。
その夫を支えるためにはアナウンサーの仕事をしながら子供を育てながらでは無理だと判断して他部所への移動を自ら願い出たそうです。
かなり葛藤も合ったと思います。
しかし二人目の子供はまだまだ出がかかるときですよね。
選択肢はおおくはなかったことが想像できます。
妊娠出産、産休と女性にとっては大問題です。そういった問題をきちんとこなして仕事をしている女性という面でも市川アナウンサーは女性から憧れられていたそうです。
仕事だけできるというわけでもないところが素敵です。
世間の反応
市川キャスターは報道ステーションのサブキャスターをしてしただけにマイクを置いた事にテレ朝の局内ではかなり騒然としたそうです。
本格派として誰もが認めるキャスターでしたよね。
媚びる感じもないのが女性にとって好印象だったそうで産休に入る時は惜しまれていました。
今年になって産休から帰ってきたばかりだったので戻ってくるのを楽しみにしていた もいるそうです。
しかし旦那さんのために自分の夢のキャスターという仕事に終止符をうって、マイクを置き旦那さんと子供のために次の仕事に進むというスタンスにはまた多くの女性に好印象を与える結果となりました。
まとめ
・広報局広報部への移動は自主的に申請したもので人気の陰りよるものではない。
・移動の理由はMBAを取得してテレ朝を退職してあたらしい職場で頑張ってく旦那さんの力になるためと子供を育てるという為。
・今回のアナウンサーをやめるということたいして、世間ではかなり惜しまれている声が上がっている。
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