23週のなつぞらでは一度退院した天陽の体調が再び悪くなってしまいます。
そして帯広の病院に入院していました。
なつは何かあると天陽に会いたい気持ちも少しありました・・・
このペ-ジでは天陽君のモデルとなっている人についてお伝えしていきます。
天陽君が死んだ!?
どういう流れで「天陽くんに会いたいなぁ…」になったんでしょうね。 #なつぞら #吉沢亮 pic.twitter.com/DBPuGPMBrl
— 静流 (@shizuru10) August 23, 2019
天陽は退院が決まると病院を抜け出してしまいました。
それは書いている途中の絵が気になって仕方がなかったからです。
どうしても完成させたい天陽はまさに本物の画家そのものでしたね。
ついに絵を書き上げた天陽ですが、翌朝清枝にじゃがいも畑に行くと言って・・・
それが最後の言葉になりました。
天陽君はそのまま息を引き取ってしまいました。
天陽君にはモデルとなった人物がいた!?
朝ドラ『なつぞら』のロケセット、山田天陽君のアトリエ&家を観覧😊💕👍🏻。
なかなか間近でロケセット観れる事なんて無かったので、興味深々🤣💕(笑) pic.twitter.com/UzfDWGJYvH— そめ☀️インティライミ@(株)IRGP北海道支社コラージュ課💕 (@somepunya) August 24, 2019
天陽にはモデルになった人物がいると言われています。
それが神田日勝といわれている画家です。
モデルとなった人の経歴とは?
神田日勝(かんだ にっしょう)
生年月日 1937年12月8日生まれ
没年月日 1970年8月25日(享年32歳)
出生地 東京
8歳のときに戦火を逃れるために一家で北海道に疎開。
そのまま定住しています。
農業をする傍ら、あいている時間を見つけては油絵を始める。
その後平原社美術教会展や全道美術協会展などで活躍しています。
家庭に関しては1962年に結婚して一男一女をもうけています。
しかし1970年に風をこじらせて入院しています。
そして風をこじらせて腎孟炎を発症。
そして8月25日敗血症のために死去。
享年32歳でした。
神田日勝の作品について
神田日勝の作品は油絵ですが素材の質感や手応えににか感じるものが合ったのか、
ベニヤ板にペインティング・ナイフを用いて描かれているのが特徴をもっています。
また神田日勝は見たままに描くのではなく、対象をデフォルメして、画面いっぱいに大きく描くタイプの画法です。
こちらは「晴れた日の風景」という作品です。
1968年(31歳)の頃の作品です。
こちらは「室内風景」とよばれる作品です。
これは神田日勝最後の完成作品と言われています。
一枚一枚の新聞紙が本当に貼られているかのように見えるくらいリアリティがあると言われています。
現代社会に生きる人間の孤独や苦悩、その在り方を問う力作として、何かを語りかけてくる力強い作品です。
コチラの作品は神田日勝が最後に書いてた作品です。
完成させることはできなかったそうです。
「なつぞら」では天陽君は完成させていますね。
まとめ
・なつぞらの天陽にはもでるになった人物(神田日勝)がいた
・神田日勝は若くして亡くなってしまったが、数々の有名な作品を残しています。
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