朝ドラ「エール」の主人公(古山裕一)のモデルとなっている古関裕而(こせき・ゆうじ)さん。
この方は日本の音楽の世界でとても偉大な功績を残された方です。
記念館も作られるほど後世に影響を与えた人物です。
このページでは朝ドラのモデルとなった古関裕而さんが
・一体どんな曲を作っていたのか
・生涯で何曲くらい制作したのかについてお伝えしていきます。
最後までお読みいただけると光栄です。
目次
朝ドラ「エール」のモデルとなった古関裕而が作曲した有名な楽曲について
古関裕而さんと言えばこれ 日本国歌斉唱https://t.co/jmcC3Sd4qi
「六甲おろし」
六甲颪に 颯爽と
蒼天翔ける 日輪の
青春の覇気 美しく
輝く我が名ぞ 阪神タイガース
オウ オウ オウオウ 阪神タイガース
フレ フレフレフレ
読売ジャイアンツの闘魂こめても古関先生 pic.twitter.com/TpUjgKXi5n
— ゆきちゃん (@marinamiries) January 31, 2020
ここでは特に古関さんが制作した有名な曲をご紹介します。
これを知らずして日本で生きていくのは無理というくらい有名な曲があります。
大阪(阪神)タイガースの歌(六甲おろし)
今でも阪神タイガーズの試合でこの曲が流れると大合唱になります。
この大合唱をその場で聞きたくて球場に行く人もいるそうです。
栄冠は君に輝く
言わずと知れた甲子園のテーマソングです!
この曲は歴代さまざな人が歌って今まで語り継がれてきましたが、その始まりは古関裕而さんだったのです。
オリンピックマーチ
この曲は2020年の東京オリンピック開催が決まってから比較される時によく流れていますね。
モスラの歌
「モスラーヤッ」というフレーズが多くの人の耳に残っているのではないでしょうか?
映画ではピーナッツが歌っていました。
ドカベン挿入歌「ああ甲子園」
この曲はドカベン世代の人にはかなり熱いものがあるようです。
とんがり帽子
朝ドラ「なつぞら」でも流れていた名曲で、これを聞くと戦争を経験した人はさまざまなシーンを思い出してしまうと言われています。
当時それほど流行っていたのでしょう。
朝ドラ「エール」モデルとなった作曲家古関裕而氏について
【今日の墓碑銘】
1989年8月18日。古関裕而が死去。昭和の作曲家。日本コロムビアに入社し歌謡曲・応援歌など生涯に5000曲を作曲。主な作品に『六甲おろし』『栄冠は君に輝く』『長崎の鐘』『君の名は』がある。気品ある格式高い曲風から現在まで多くの作品が愛されている
(80歳・脳梗塞) #生寄死帰 pic.twitter.com/wBSMDz7DUN— 義視 (@kamo1868) August 17, 2019
古関裕而(こせき・ゆうじ)
本名 古關 勇治
誕生日 1909年8月11日
没年日 1989年8月18日(80歳没)
出生地 福島県福島市
死没地 神奈川県川崎市活動期間 1931年 – 1989年(22歳~80歳)
配偶者 古関金子(1930年 – 1980年死別)
古関裕而さんは22歳で作曲家としてデビューしてから生涯無くなるまで作曲家として曲を作り続けてました。
古関さんが生きた時代は日本の歴史の中でも最も激動の時代でした。
古関さんが5歳の時に、第一次世界大戦が始まり、
古関さんが30歳の時に、第二次世界大戦がはじまり、
1945年の古関さんが36歳の時には日本はポツダム宣言を受諾
さらに古関さんが55歳のときには東京オリンピックが開催
そして亡くなる直前1986年頃はバブル絶頂期と言われていました。
こうした激動の時代を音楽を作りながら、時代の空気などを読みつつ作曲できたからこそ生涯現役を貫けたのだと考えれます。
古関裕而は生涯に作曲した数について
古関裕而さんが生涯で作曲した曲の数は5000曲と言われています。
58年間というキャリアの中で5000曲ということなので、
1年間に100曲弱という量を作っていたということですね。
4日に1曲ペースということになります。
恐ろしい才能と継続力ですね!
古関裕而は学校の校歌も制作していた
古関裕而さんは学校の校歌も作っていました。
しかもかなりの数を全国各地に作っていました。
多いところでは、東京でなんと45校以上の学校の校歌を作り
広島県だけで20校弱
福岡県だけでも20弱の校歌を作っています。
下記のURLのサイトに作曲した高校が記載されています。
もしかしたら母校の校歌を作曲していた可能性もあるので一度見てみてはいかがでしょうか?
古関裕而はどういったジャンルの曲を作ったいたのか
古関裕而さんが生涯で手掛けたジャンルはクラシックを始め
スポーツ・ラジオドラマ・軍歌・歌謡曲・演劇・校歌・社歌等、多岐にわたっています。
その中でもブラス・バンドを使った曲が特に多いようにも感じます。
まとめ
・朝ドラ「エール」の主人公のモデルとなった古関裕而さんは日本の音楽業界に名前を堂々と残している有名な作曲家です。
・古関裕而さんは生涯現役を貫き5000曲を作りました。
これ58年のキャリアで計算すると
1年に100曲弱
4日に1曲ペースで作曲を続けていたということです。
才能だけではなく、音楽が心から大好きだったのでしょうね!
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