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天空の城ラピュタのモデルとなった街や場所は? 舞台や時代設定についても 

2019/08/24
 
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宮崎駿監督の代表作「天空の城ラピュタ」は今でも日本国内にとどまらず外国でも絶大な人気を誇っています。

その天空の城ラピュタですがモデルとなった街や場所はどこなのでしょうか?

そして時代はいつの事として作られていたのでしょうか?

それらについてお伝えしていきます。

天空の城ラピュタの時代に関するカギは父親の絵に書かれていた!?

最初にパズーがシータが部屋に来た時にラピュタの説明をしているシーンがあります。

そのシーンでパズーが父親が残した写真を説明していますが、

じつはこの写真に日付けがちゃんと書かれているのです。

それは1868.7です。

つまり1868年の7月に撮影したということです。

それはパズーが生まれてきてからの事として考えるとその後10年くらいが妥当ではなかと考えれます。

つまりラピュタのパズーやシータがいた時代は1880年ころを舞台にしていると考えれます。

1880年代は日本は明治時代ですね。

世界は目まぐるしく発展していた時代です。

天空の城ラピュタのお城はいつの時代に作られたものなのか?

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パズーとシータが1880年頃の人物だと仮定して、ではラピュタはいつから空に浮いていたのかというとこれもきちんと説明がされています。

 

それはムスカの言葉にありました。

ムスカはラピュタは700年もの間そらに浮いていたと言っていますので、
ラピュタが作られたのは、1200年頃だと言う風に捉えることができます。

 

1200年頃は日本では、ちょうど鎌倉幕府ができた頃に当たります。

源頼家や北条政子などがいた頃です。

世界ではモンゴル帝国が力をもった時代で十字軍などは衰退した頃と言われています。

 

その頃にひっそりとラピュタは作られていたという事です。

まさか鎌倉幕府の時代とは驚きですよね。

天空の城ラピュタの市街地のモデルとなった場所はどこ?

ではモデルになった場所はどこなのでしょう?
まず地域ですが、これはパズー達の服装からして、ヨーロッパだと考えるのは一番自然だと思います。

 

この服装は紛れもなく日本ではないです。
日本はこの頃袴(はかま)でちょんまげですから大分違います。w

 

さらにシータはいくつかの呪文を使っていました。

その中でも一番有名なセリフが「バルス」でした。

じつはバルスの語源はトルコ語だと言われています。

バルスはトルコ語で「平和」という意味があるそうです。

「破壊」ではなく「平和」というのが不思議ですね。

ラピュタは兵器なので「壊す」という呪文には、それが存在しなくなったときの言葉を当てはめたのでしょうか・・・

 

天空の城のモデルとなった場所はココ?

これはイギリス、ウェールズ地方です。なぜこれが一番可能性が高いかというと宮崎監督が実際に訪れているのです。

このウエールズ地方をモデルにしたとは公言していませんが、行ったという記録あります。

なので可能性が高いのはウエールズ地方だと予想できます。

しかし天空の城はいわばSFなので一箇所だけをモデルしたとうことはないでしょう。

つまり複数の場所がモデルになっていると考えられます。

モデルになっていると噂されている場所は他にもいつくかあります。

これはイタリアのチヴィタ・ディ・バニョレージョです。

街の雰囲気や屋根などは天空の城とかなり似ています。

そしてこれはカンボジア、ベンメリア遺跡です。

天空の城は草木に覆われていましたがその雰囲気はベンメリア遺跡にぴったりと重なりますね。

武田城もラピュタのモデルになったといわれていますが、跡地なのであまり参考にはならなかったのではないでしょうか・・・

 

まとめると、天空の城は、イギリス、ウェールズ地方やカンボジア、ベンメリア遺跡とイタリアのチヴィタ・ディ・バニョレージョなどを宮崎監督は頭の中で参考にして作ったのではないかと考えられます。

まとめ

・パズーのいた時代は1880年代のヨーロッパだと思われる。

・天空の城ラピュタの城は複数の街や遺跡の複合体として作られた可能性が高い。

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